雨宮自動車工業株式会社 
代表取締役社長 小宮 里子 様 インタビュー

小宮社長の写真1
生駒:本日は、雨宮自動車工業の小宮社長に、会社訪問をしましてインタビューをさせていただきます。
小宮社長は、先般、浜銀総研様で実施された私のセミナーを受講いただいた受講生の一人でいらっしゃいまして非常にユニークかつ、バイタリティ溢れる社長さんだということで、今回特別に依頼をいたしまして、ご快諾いただいて本日に至ります。 改めまして本日はありがとうございます。 では早速、簡単な自己紹介からお願いできますでしょうか。

小宮:雨宮自動車工業株式会社 代表の小宮里子と申します。
趣味と言えば、そうですね…社業に専念という意味で2年ほどお休みしていたんですけれどゴルフの再デビューをしようとしていたところで、このコロナ騒動でコンペが軒並み中止になりましたので、デビューの日を楽しみに日頃体を鍛えております。 お休みの日は美容と健康に時間を費やしています。

生駒:御社の事業内容を教えていただけますか?

小宮:創業が昭和39年で、今年で創業56年目に入ります。横浜市南区からスタートした弊社は、私の父である今の会長が創業者です。
当初より、比較的トラックの整備をメインとする仕事が多かったのですが、大変小さい工場でしたので、バスが入ると天井を擦ってしまうくらい小さな穴蔵の様な工場から進出してまいりました。昭和63年にはこちらの工場が竣工し、事業規模も拡大することができました。 働く車をメインに、高所作業車やミキサー車、パッカー車・・・ゴミ収集車などをメインに取り扱っています。

生駒:先程、整備士の皆さんが一生懸命働いていらっしゃるのを工場を上の方から拝見しまして。 素人視点ではありますが、大変な作業スピードで仕事を進められているように感じました。

小宮:そうですね、確かに当社の回転率は非常に高くて、ほとんどの車両は正味一日で作業させていただいて、車検などは1泊2日でお預かりをしています。 例えば、電気工事などで使用する高所作業車というのは上に人が乗るバケットというものが付いているのですが、このような車両については特定自主検査という検査が義務付けられているんですね。 一般の工場ですと車検整備のために工場に預けて、特定自主検査のためにまた別の工場に預けて、という流れになるのですが、そうすると1泊2日ずつ、合計で4日もかかってしまいます。 そこを当社に預けていただいた場合、車検と特定自主検査をパックで出来ますので、2泊3日で作業が完了できるということで、弊社に預けていただくお客様は、このようなスピーディーで無駄のない仕事にメリットや価値を感じてくださっています。

生駒:なるほど。では、年間何台くらい整備をされるんでしょうか。

小宮:車検だけで800台くらいでしょうか。他にも大なり小なりいろいろな作業がありまして、台数的には延べ3000台くらい整備しています。

生駒:すごいですね!世の中、働く車というのは必要不可欠、なくてはならない社会ですので、そういう意味では働く車は必需品とも言えますね。

小宮社長の写真2
生駒:では、社長に就任されるまでの経緯を教えていただけますか?

小宮:私は「雨宮自動車工業の社長になるべくしてなった人間」だと自負しています。
昭和40年に生まれ、当時母が経理をやっていた横浜市南区にある小さい工場で、幼い頃から母に手を引かれ、日がな一日工場で過ごしていました。当時は高度成長期ということもあって、今の会長もすごく楽しそうに仕事をしていましたね。 自動車がいつも身近にあり、自動車が大好きで、父の背中を見て、「私はこれがやりたい、これをやるんだ!」ということを、4歳で決意をしたことを鮮明に覚えています。
私の人生には4年周期というものがあって、8歳の時に、やっぱり私はこれをやろう、12歳の時には、やっぱりこれやろう。高校生の時はやっぱりやっぱりって、4年ごとに他に興味が出たりもしたのですが、それでも「私は雨宮自動車の社長になるべきだ」と、ずっと心にあったように思います。 高校を卒業する頃、周りは蝶よ花よで女子大短大と進んでいく中、私は自動車整備の学校へ進学しました。当時の卒業アルバムにも「自動車のことは雨宮自動車へ」って書いていたんですよ。(笑) それから専門学校で2年間勉強して、卒業したその年に2級整備士を取得。
そして、横浜のトヨタ系のディーラーで1年ほど修行をし、その後26年間は雨宮自動車で会長の下、No.2として、整備士として働く傍ら、検査員の資格も取り検査業務、フロントでの営業と様々な業務を経て、長男が中学に上がった段階で「そろそろ交代してもいいんじゃない?」と会長から話をもらい、社長としてスタートをいたしました。
奇しくもそれが2011年、震災の年、まさに3月に登記をしたのですが、いよいよ4月から社長就任の発表をしようと準備している最中に震災が起こったんです。 私は「なんて時に船出をするんだろう」と思ったものですが、当社の場合は働く車をお預かりしていることもあり、被災地に赴く車の準備をたくさんさせていただけました。 結果的に私の社長としての船出は追い風を受けてスタートを切れた形となりました。

生駒:そうだったのですね。社長になられました2011年から現在まで、大変なご苦労と喜び、多種多様な問題、出来事があったかと思います。 その中で、これは本当にしんどかった、辛かったことなど、エピソードがあれば聞かせていただけますでしょうか。

小宮:そうですね、やはり一番辛かったのは、人財不足の問題ですね。整備士というのは世間的には人気職ではないので、採用が難しく、特に2017、18年にかけて人財不足の危機に陥っていました。 仕事はあるのに人は足らずという状況のなか、ベテランの整備士が辞めてしまったのをきっかけにガタガタと崩れ始めました。その整備士は50年に1人と言われるほど腕と頭の良い整備士で、28年間務めてくれたのですが、職人気質な性格だったこともあり組織が大きくなるにつれ、上に立つポジションに馴染めず徐々に会社との距離が離れていってしまいました。 私も説得することができず、お互い未熟だったのでしょう。結果的に会社を去ってしまったんですよね。 どんなに腕が良くても人間力が伴わなければ、技術・知識・精神のバランスが良くなければ組織では上手く機能できません。 私も経営者として組織に適した人員の配置を考えなければ、会社が伸びていきませんから、非常に残念ではありましたが仕方のない結果だったと思います。
そこからは負の連鎖というか悪循環に陥り、繁忙期に人が立て続けに辞めてしまって、それはもう大変でした。この仕事はマンパワーによるところが大きいので、生産性、パフォーマンスがガタっと落ちてしまい、今は9人体制で回っているような現場で、当時は最終的に3人まで減ってしまいました。

小宮社長の写真3
生駒:前途多難な状況でのターニングポイントは?どんなお話になりますか?

小宮:仕事が入っても協力工場にお願いしてばかりでは当然売り上げも上がるわけもなく。このままでは今残っている社員も辞めてしまうから、もっと環境を整備していかないと、と考えていた時に営業担当の人財が入ってきてくれたんですよ。 実はこの時営業担当も欠員していて、まずは一つ穴が埋められたとホッと胸をなで下ろしました。会社存続の危機をすぐそこに感じるまで追い込まれていた、ここがターニングポイントでした。 営業が入ってくれてから、顧客管理の徹底、お客様の年間スケジュールを管理し、車検は2ヶ月前からご案内するなど施策を打ち出しました。 顧客管理をしてから予約制度を確立していくことで仕事量も読めてくるし、休日も交代で取れるようになり、一昨年より昨年、昨年より今年というように休暇も年々増やしてくることができました。 そうすると若い整備士も来てくれるようになり、離職率を上げないためにさらに良い職場環境を整えていこうと良いスパイラルに乗ることができました。 そしてもうひとつ、私にとって奇跡だったのは、どんどん人が辞めていく中、すごくいい人財が残ってくれたことです。今いる工場長、副工場長、マネージャー、この3人が残ってくれたこと。 いつも朝から晩まで一緒にいて、彼らとは今でも兄弟みたいな関係です。社内システムを劇的に変えてくれた社員、どん底のときにうちに入ってくれた社員、奇跡的に残ってくれた家族のような社員。 こういったご縁があったおかげで今までやってこられたのだと思います。

生駒:小宮社長が本業に対して真摯に向き合い邁進されてきたからこその結果だと感じますが、やはりこういうインタビューをすると、皆さん「ツイてる」とか「ご縁」というキーワードをよくおっしゃいます。 この2つはうまくいってらっしゃる方が必ず抑えられているマインドでして、小宮社長もそういうところをお持ちなのでしょうね。

小宮:それで、何とか人財不足の問題も解消できて順調に経営できていたのですが、また大変な危機に遭遇することになってしまいました。 2019年9月9日の台風15号。この被害で設備が全部ダメになって、碁盤は決壊、シャッターは壊れて開かない状態の真っ暗な工場の中は見るからにぐちゃぐちゃでオイルと海水の臭いがただ充満していて。 「これは一体どうなるんだろう」と、その光景を見て呆然としてしまいました。ブレーキの検査機器も、屋上に上げるリフトも、何もかも全て失って。「何にもなくなっちゃった・・・」と。
でもそんな時に、社員たちは「やろう!やるんだ!」と、どんどん動いていくれたから、私も皆に引っ張られて「何とかやるしかないだろう」と気を持ち直して。 社員たちは本当にすごく頼もしかったです。でも、小さい会社ですから動き出してからはものすごく早かったです。 がんばってくれた社員と業者さんのおかげで、この地域の整備工場でいち早く立ち上がることができました。 その間、社員とは「私たちには力強い応援団がついているから絶対に大丈夫だから」とお互い声をかけ合って士気を上げてきました。
実際、金融機関の方もすぐに駆けつけてくれ、行政も動いてくださって、菅官房長官も、神奈川県知事もいらしてくださり、助成金の申請など本当にお世話になりました。 これも当地域の産業連絡協議会の会長、事務局長が全てお膳立てして下さったおかげだと思っています。 私たちが困ったとき、辛い時に手を差し伸べてくれる方がこんなにもいるんだという感謝の気持ちでいっぱいでした。 台風19号の甚大な被害を思えば、私たちには人的被害がなかったのですから「いつまでも被災者面するのはやめよう!」と社員一同気持ちを新たに仕事に打ち込みました。 それからは売り上げもV字回復でき、2019年が終わって振り返ってみたら、大変なことがあったけれど、結局良い年だったなと思えています。

生駒:本当の意味での「雨降って地固まる」を体験、実現されて、社長は本当に素晴らしい人格、人脈と、それを裏付ける強運、縁をお持ちでいらっしゃる方だと、改めて感嘆いたしました。 小宮社長はすごいですわ!(笑)

小宮:ありがとうございます。(笑)

生駒:その危機を乗り越え、どんなことを学ばれましたか?

小宮:命がかかっていないので極限とまでは言えませんが、それでも大変な局面の時には、経営者の人間性と哲学が問われます。 地域の中小企業経営者の方々は皆さん力強く、泣き言も一切言わず明るく復興復旧に向けて全力で取り組み、自分のことだけではなく周りへの心配りも忘れませんでした。 この時の皆さんの姿を見て、私は改めて「中小企業の底力」というものを強く感じました。 本当に支えていただきましたし、私も経営者としてこうあるべきだと学ぶきっかけをいただきました。

生駒:御社の社員さんたちは、皆さん社長に育てられて、社長、会長の背中をしっかり見て成長してこられたのでしょう。 だからこそ、この会社のために、困っている人のために、ここ一番で「よし!」と立ち上がるパワーがあるのですね。

小宮:頼もしい社員に囲まれて私も心強いです。
4月で勤続20年になる弊社工場長は19歳の見習いの時からいるのですが、彼は私が育てたというより「共に育ってきた」と思っています。 「社長、それは違う」とか面と向かって言うことはないのですが、それ以上に行動で示してくれる、懐の深い人間です。 彼の行動を観て、「そうか、こういうやり方もあるのか」と気付かせてくれる人財ですね。

生駒:「共に育ってきた」、良い言葉ですね。阿吽の呼吸…それともちょっと違う感じで、工場長さんと私はまだ面識はないですが、素直にお互いが認め合っているというか、現場で背中を預けられるような信頼関係が多分にあるから衝突しないのでしょうか。

小宮:そうですね、やはり会社が大きくなっていく中では、色々なことを見直したり決断したりしなければいけない局面があるんですね。 私がこういう方針にしたいと言えば、よく理解しようとしてくれて、実際に理解してくれて、同じベクトルでみんなを引っ張ってくれるような存在です。

生駒:実は、企業にもそういう人財は少なくて、自分の仕事のやり方は曲げない、変化を嫌う、そういう頭の固い方は残念ながらいらっしゃいます。 そういったところで御社には工場長のような素晴らしい方がいらっしゃって、また、そういう方を引き付けていらっしゃるのは小宮社長の人間力があるからこそだと思います。


生駒:では、今後はどういったところを目指していらっしゃいますか?

小宮:先日のセミナーでも少しお話しさせていただきましたが、ブランディングには興味があります。 「働く車は雨宮自動車、雨宮自動車といえば働く車」というイメージをもっと皆さんに認知してもらえたらと考えています。 社員にも「我々は働く車を預からせていただいているんだ」という誇りを持って働いてほしいと思っていますし、自動車整備士、ひいては整備工場そのものが少なくなっているこの時代にこそ価値のある仕事であるということを世の中に広めていければと思います。 お客様が働くための車のことでお困りになられたとき、「困ったな~、これは雨宮自動車に相談だ!」と言っていただける様に、それから難しい内容の整備といったものに対してもチャレンジしていく会社、「雨宮自動車だったらなんとかしてくれる!」そういうところを目指しています。 まだまだ若い整備士が多いので職人技の域には到達できてはいませんが、それぞれがスキルアップして、多種多様なお客様のお困りごとにお応えできる会社にしていきたいですね。

生駒:最後に、小宮社長の社長の流儀を教えていただけますか?

小宮:「私は当社、雨宮自動車に、小宮里子に関わる全ての人の幸福の追求をしたい」。 これは経営方針の中に盛り込まれています。働く車は世の中になくてはならないものであり、自動車整備は社会から必要とされています。そこに働く方もいればそれを利用する方もいる。 それぞれには家族や大切な人もいる。その中で私に関わる全ての人には幸福になってもらいたいと考えています。
取引先には潤いを、社員に対しては幸福を、社員の自己実現が私の夢なんですね。私は自己実現している最中なので、社員にも是非、自己実現してほしいと思っています。 うちみたいな小さな会社は一つのチームなので、全員同じじゃない、それぞれに光る個性が強みです。個性、長所、興味、得意、そういうところにパーッと光を当てて伸ばしていくことで、どんな整備士にも人間にもなれると思っています。 社員にはそういったことを見える化して説明していくわけです。そういった話の中でも、ちゃんと後ろの方に現実的な数字のことも書いておいて、「売上も上げましょうね」と付け加えるようにしています。

生駒:精神論だけではなく裏付けられる成果も必要だと、成果があるからこその精神論だと。これは両輪ですね。 それをきちんと見える化されてチームみんなで理解しましょうと、素晴らしい考えです。
一つのセミナーでこうやって私も小宮社長とお知り合いになり、また家も近いですから、度々遊びに来れたら嬉しいなと考えておりますので、是非今後ともお付き合いいただけたらと思います。 本日は貴重なお話をたくさんお聞かせいただきありがとうございました。

小宮: こちらこそ、ありがとうございました。

編集後記

先ずの感想は、「しんどい話も楽し気に話されるなぁ~」です。
どんな方にもストーリーがある。そして、ストーリーには苦しかった頃の話や苦慮した話等「谷」の話が付き物です。その通りで、小宮社長が話される「谷」の話の内容は決して笑える様な話ではなく、本当に愕然とする状況だったと推測されます。
しかし・・・それが、楽し気に聞こえる。そう、そこが小宮社長の最大の強みであり魅力なんだとインタビューをさせていただきながら、そんなことを考えていました。

何事も「捉え方」によって、人への伝わり方も違ってきます。

そうなんですよね~
ターニングポイントって、その時にわかることなど先ずない。何かコトが起こった時「この時がターニングポイントだぁ!」なんて、誰しもわからない・・・いや、恐らくその時はわき目も振らず必死なことが多い。ただ、それを乗り越えていい状態になって、振り返った時に「あの時が分かれ目だったなぁ~」なんてわかるモノなのでしょう。そして、振り返った時にどう思うか?どう考えるか?こそが、人の真価に繋がるのかもしれません。
「捉え方」って大切です。後、小宮社長との対談で、自分の不甲斐なさも思い出されました。

と、も一つ・・・
こと、ご自身やご子息・お嬢様が通われた学校が奇しくもこの程娘に行かせる学校と同じであったことにも「縁」を感じざる得ないと感じているのは、この私だけかもしれませんが・・・(笑)


どんな社長・経営者にも「ターゲティングポイント」があり、社長業を全うする上で「仕事の流儀」があるはず・・・それをお聴かせいただき、情報発信させていただき、この記事をお読みいただいた読者であるあなたと情報共有がしたい思いでの企画になります。