株式会社ビビッド・ジャパン 
代表取締役社長 奥 博史 様 インタビュー
生駒:本日は神田にオフィスがございます、株式会社ビビッド・ジャパン様にお邪魔しています。代表をされています奥社長は、大手企業から独立起業された方です。 この記事を読まれている方にも大手からの独立とは一体どういったものなのか気になる方は多いかと思いますので、その辺りも含め、色々とお話をお聞かせいただければと思っています。 どうぞよろしくお願いします。
それでは、先ずはじめに奥社長の簡単な自己紹介と現在はどういったお仕事、サービスをされているのかお聞かせください。

:よろしくお願いいたします。株式会社ビビッド・ジャパン、代表取締役社長の奥です。
ビビッド・ジャパンという名前には「生き生きとした日本を」という想いが込められています。
まず少し、ビビッド・ジャパンとその想いについてお話いたしますと、私は新卒でNECに入社し、その時に社内恋愛で結婚したのですが、妻は当時からネーミングセンスが素晴らしく、今でも仕事で情報紙のタイトル付けなどを任されていたりするほどなんですね。 私も独立の際、社名をどうしようかと当然妻に相談したわけですが、即答で「ビビッド・ジャパン」と提案してもらい、私も「それはいいネーミングだね!」ということで社名は割とすんなり決まった次第です。
生き生きとした日本にしていこうという想いについては、起業当時はまだ日本でのインバウンド需要が増加し始める少し前でして、国内は経済的に停滞している雰囲気がありましたから、日本が元気になるためには、もっと外部からのお金の流入がないとだめでしょうということを言われ始めた時期だったんです。 東名阪(京都・奈良含め)には外国人旅行者が観光に来るのですが、地方はまだまだそれも少なく、主要都市以外、つまり地方にお金が落ちないと日本全体として元気になりませんよね。 そういった日本が抱える問題、課題を解決したいという想いがあって、地方に人が呼べるようなビジネスをひとつの軸に構想しました。
ただ、その事業だけでスタートアップするのは心許ないところがありましたので、それ以外にも元々得意であるマーケティングの領域を活かした営業支援サービスをいくつか準備してから会社をスタートしたというのが始まりです。 お陰様で起業から現在は10年目になりました。

生駒:なるほど、そういった想いがあって独立されたのですね。では、独立されるまでの経緯をもう少し詳しくお聞かせいただけますでしょうか。

:新卒で日本電気株式会社(NEC)に入社して、営業、マーケティング部門を担当し、退職後はベンチャー企業に一度転職いたしました。 そのベンチャーは今では上場した企業なのですが、そこはNEC時代の取引先だった方が創業した会社でして、縁あって声をかけていただき番頭的な立場として入れていただきました。 そしてそこが10周年を迎えるタイミングで、その当時一緒に仕事をしていた仲間と退職をして作ったのがこの会社です。

インタビュー中の写真
生駒:NECさんでサラリーマンは何年ぐらい経験されましたか?

:13年ですね。

生駒:なるほど、NECで13年、その後ベンチャー企業で10年と、修行というかひとつワンクッションおかれて独立されたと。
私の経験上、大手から独立されると失敗される方が多いように感じております。何故かというと、私の勝手な考えかもしれませんが、やはり大手は名刺の世界、ネームバリューで結構仕事ができてしまうからではないかと思っております。逆に個人、小さい会社になると名刺の世界では生きてはいけないじゃないですか。 それは奥社長もNEC、ベンチャー時代と渡り歩きながら十分実感されていたことではないでしょうか。大手の強み、安定を知っておられながらあえてそこで独立に踏み切ろうと考えるには、どのような理由があったのでしょうか。

:そうですね、やはり先ほどお話しした想いが根本にあって、自分たちがどれだけできるのか試してみたかったというのが理由ですね。 そして、NECを辞めてからのベンチャーでの10年間で企業補佐的な役目で働きながら独立に向けた経験が積めたことも大きかったです。そのお陰でなんとか今でもこの会社を続けられているのかなというところはあります。 おっしゃる通り、ステップを踏まずいきなり独立していたら速攻で挫折していたんじゃないですかね。大手で働いていたころは、例えばお客様にアプローチするにしても会社のことを説明しなくていいんですよね。 社名を言うだけでとりあえずは信用をおいてもらえますから、やはり看板で仕事しているつもりはなくても、いつの間にかそういった仕事の仕方になってしまいますよ。 ところが、独立したらそうはいかないですよね。お客様との取引においても信用がない分、取引ができなかったりすることも多々発生してくるわけですから、独立する前にベンチャーでやっていくにはどういったことが必要なのか随分学ばせてもらったことが大きかったのかもしれません。

生駒:では、10年前の独立当初に考えていたサービス、商品ラインナップは、思っていたようにうまくいかなかったり、時代の流れに添うようにカスタマイズしたりと、現在までにかなり変容されてきたのではないかと思うのですが、その辺のところはいかがでしょうか。

:もう本当にその通りでして、最初の「日本を生き生きとさせていこう」という想いを胸に、地方にインバウンドを増やしていこうとスタートしたビジネスについては、会社を作ってから間もなく、3ヶ月くらいしてからようやくアポイントメントも取れはじめ、よしこれからという時でした。用意していた資金も枯渇するかどうかのところで、やっとビジネスが動き始めたときに、東日本大震災が起きてしまったんですね。 となると、当然事情は変わり、インバウンドの地方誘致事業どころではなく、それ以前の問題になってしまいまして、やりようがなくなってしまったんです。
大震災の影響は思っていた以上に凄まじく、当時取っていた商談アポイントも一旦全てキャンセルになってしまうほどで、もちろんお客様を訪問して商談するような状況でもなかったですしね。 そのときに当初のビジネス計画にあった片輪は早々に挫折せざるをえませんでした。
ですから、仕方がなくもうひとつの軸として計画していたマーケティング事業の方で頑張るしかないということで、そこからはマーケティング領域の事業を中心に据えて経営を進め今に至っているということです。

生駒:それは大変でしたね。私も同様に独立して今まで本当に色々なことがありました。嬉しいこともありましたが、逆に悲しいこと、寂しいことはもっとたくさんありました。 苦労や失敗は、経営者、特に中小企業の経営者は常に隣合わせなんですよね。奥社長は、どのような失敗、苦労を経験されてきたのでしょうか。

奥社長 :先ほど申し上げた通り、創業してすぐに思わぬ転換期がやって来てしまったわけですけど、そんな時、当時からお世話になっていた方から、災害発生時に従業員が全員無事かどうか確認する「安否確認システム」というものがあると情報をもらいました。 東日本大震災が起こるまでは震災、有事に対しての企業の意識はそこまで高くありませんでしたので、そういったシステムを導入している企業はまだまだ多くありませんでした。システムの簡単な仕組みとしては、個人の携帯電話にメッセージが飛んできて、それに対して無事かどうか答えることで管理サイトの方で集計ができると。 どこの部署は何人回答が来ている、誰からは回答がないということが企業側で管理できるわけです。このサービスを提供していた最大手といわれている企業の安否確認システムが3.11のときに通信が途絶えてしまって全くといっていいほど機能しなかったんです。 管理画面にすらログインできない状況で大規模な災害時に役に立たないことが露呈してしまったと。
そんななか、某公共放送系の災害現場の記者とのやり取りをするために作られた仕組みを流用したシステムがものすごく優秀で、震災時も問題もなく安否確認が取れていたようで、それに対しての引き合い、問い合わせが増えているようだという情報をいただきました。そして、そのシステムを提供している企業に話をしてみてはどうかとおすすめされたんですね。 それで早速、ぜひ代理店をやらせてほしいと申し込みをしてすぐに営業を開始したんです。そのときは災害に対して国中が敏感になっていたこともあり、簡単にアポが全部取れました。 1日5アポ例えば、9、11、13、15、17時といった具合で、お客様の都合に合わせて調整はしていたのですが、何しろ場所が違いますから調整がかなり大変でした。 自治体も含め大規模な商談がいくつも起き、商談もいいところまでは行くのですが、結局最後は他社に取られてしまいました。
うちは当時自己資本も少ない会社でしたので、超大手に対してしか営業していなかったんですよ。その安否確認システムのサービスは1人あたりいくらという料金体系でしたから、ボリュームディスカウントがかけられる大手相手の営業でないとなかなか決まらないだろうと戦略的に考えて動いていたのですが、そこが私の考えが甘かったところで、結果失敗してしまいました。 いくら大元が信用のある会社で素晴らしいサービスを提供していても、その間に入っている代理店に信用がなくてはうまくいかないのだと嫌でも知りましたね。 さらに、本来は代理店同士を競合させないために特価申請という制度があるのですが、競合の代理店に「後出しじゃんけん」で契約を取ってから申請されてしまったりと、その辺の大人のずるさみたいなものもさんざん味わいました。

生駒:1日5アポイントとおっしゃいましたね。週5日で25本アポイントあったとして、さんざん動いたにも拘らずほぼ成約しなかったと。

:そうですね、それでも何社か契約まで漕ぎ着けたところはあるのですが、小規模なごく少ないIDでしかなく、大手は全滅でした。そのときは本当に泣くに泣けませんでしたね。

生駒:そうでしたか、その時の悔しいお気持ちお察しいたします。

:特に自治体には入札の資格が必要ですから、急いで決算処理をして決算書を出して資格を取ったんです。当社が全部提案して、仕様書も当社が作成して、提案したシステムしか導入できないようにしたわけです。 入札になれば当然当社しか応札できない状態になっていたにも関わらず、いざ入札の段になると結局その自治体がいつも取引している競合他社に価格調整をさせて応札させる等々。その時の商談で受注が取れていたら、それだけで十分食べていけるくらいだったんです。 それを思うと、本当にあの時だけは悔しかった、やるせなかったですね。

生駒:そういった失敗、正しいことがまかり通らない世界、色んな関係性やしがらみからどんなことを学ばれましたか。

:まず、自分の会社に信用がないことが理由で色々と失敗しましたので、私がどこの会社出身であるのか、元いた会社名を大きく書くことにしました。 会社案内の取引先企業一覧に大手企業の名前を入れたり、そういうところからカバーして信用を獲得していかなければならないと。ただ、やはり資本金が1円から会社を起こせるとはいえ、ある程度の資金力がないと。 ということで、最低1,000万円くらいは頑張って積み上げていくことにしました。発注側としては、契約したはいいけど契約先が倒産しちゃってサービスが提供されなくなるのを恐れるのはもっともですから。

生駒:私も前職のジュエリー会社のときに大手と取引した際に、資本金の記入欄がある契約書を書かされました。最初は資本金なんて関係ないだろうとナンセンスに感じていたのですが、やはり取引してみて、なるほどなぁと。 そこで何かしらの線引き、ジャッジがされるのだなという経験をしたことがありますね。これは日本特有の考え方なのかもしれないですけどね。

:そうですね、アメリカのエンジェル投資家のようにベンチャーに対して頑張れよみたいな形で発注してくれる心意気を持った企業はなかなか日本にはないのかもしれませんね。 供給されるはずのものが供給されなくなってしまった、発注先が倒産した、夜逃げされてしまったなんてことになると、決裁権を持った発注者自身も会社での立場がなくなるので、なかなか冒険をしてくださらない。 信用がないと取引が増えていかない、しかし取引がないと信用が付かないと、当時は完全に悪循環に陥っていたように感じますね。


生駒:生々しい貴重なお話をありがとうございます。何度も言いますが、当社も含め中小企業、零細企業です。そうなると色んな苦労がそこにあるんですね。 とは言え、そう言いつつもこれまで10年間会社を続けてこられているのはやはり奥社長の手腕があってのことだと感じています。10年間は非常に長く険しい道だったかと思いますが、その中で何か勝機が見出せたターニングポイントのようなものはあったのでしょうか。

:採用に関わることになるのですが、若い人財を雇っても売上は伸びず、費用ばかりが嵩んで、銀行からお金を借りては給料を払ってと、自分でも一体何をしているのか分からなくなってくるほど、かなり厳しかった時期でした。 これを打開しようと、売上を伸ばせる優秀な人財を採用しようとしたけれど、それも失敗に終わり、もう立ち行かなくなってしまったんです。周りからももう会社を畳んだらどうかと心配されても、「大丈夫ですから!」と虚勢を張るのですが、「そう言って次の日に首を吊った人を私は何人見てきたと思っているんですか!」と言われたり・・・

生駒:厳しい現実の話をされたと。

:もうこれ以上は無理だと言われているところ、最後にもうひと頑張りしてみるということで、ダメもとで信用保証協会に行って、ありのまま全部事情を話したところ、「わかりました、貸しましょう!その代わり返済ができるようになるまで頑張ってください」と言っていただけたのです。 ものすごく優しく、人間味のある担当者だったんですね。そこで借り入れすることができ、支払いも一時止めることができたことで、首の皮一枚ですが繋がって危機を乗り越えることができました。 そして再生に向けて事業再生のプロにお願いして、支援してもらいながら再生を図っていったんです。 そこで言われたのが「会社をシェイプして一旦1人からやり直しなさい」と。それでアドバイス通り人員整理をしていたところ、タイミング良く最適な人財が見つかって、結局1人ではなく私含め2人態勢になったのですが、そこで何が起きたのかというと、当然、2人しかいませんから人件費がかからない分収益は上がりますよね。 なんとさらに売上まで伸びたんですね。それは、いかに今まで非効率な営業をしていたのかという裏返しでもありました。人を減らしたのに売上が伸びたということは、やはり自分が人を育てるのが下手だった、経営が下手だったということもあるのでしょう。 これはそれまでうちで働いてくれていた人間の責任ではなく、私の責任だったということに気付いたということです。 このころが私のターニングポイントだったと思いますね。

生駒:今のお話はすごく深いですね。人の採用、育成にものすごくご苦労されて、どうにもならない瀬戸際で、出会いをご自身で手繰り寄せて、新たなパートナーとタッグを組んでと。本当の再生はそこから始まったのですね。

:そうですね、そこからは約束通り、銀行への返済も再開できるようになりました。それまでは、拡大を目指すべきではないフェーズで変に拡大を図って失敗していました。そこにやっと気が付いて、感覚的には今は創業3年目くらいの気持ちです。

生駒:それまでは空回りというか会社自体がふわふわしていらっしゃったのかもしれませんね。その時点ではじめて地に足が着いたというところでしょうか。 今ではある種リフレッシュされて会社を運営されてますけど、今まで聞かせていただいた苦労とは逆に独立してよかったと思うこと、瞬間はありましたでしょうか。

:変なしがらみや、本質でないところに引っ張られることがないので、全て自分で決断、判断できるのは独立してよかったと思うことです。仕事をしていく上で、何故そんなことしなければいけないのかとか、理不尽なことをするのは嫌じゃないですか。 独立前はそれを色々と感じて仕事してきましたから、自分でイエス、ノーを決められる今はその辺りのストレスはありませんね。ただし、逆にいえば全て自己責任。自由と責任の表裏一体な部分はありますが。 経営者が良く言われるように、連帯できない責任が伴う分社長は孤独ですね。今は、高校の同級生でもある人間にサポートに入ってもらっていて、彼なんかは自由にものを言ってくれているのでありがたい存在です。 社長の孤独を彼に補完してもらっていると思っています。

生駒:私もジュエリー事業をしていたときにも孤独感を感じることが多く、かといってそれを部下に見せることもできないジレンマのようなものがあったのをよく覚えています。 奥社長はその辺のところをきちんと理解した上で、セルフコントロールできているのかなと思いますね。

:いや、あまりできていない気がしますけど。(笑) ただ、独立してこれまで、ずっとしんどいことの連続でしたが、パートナー企業だったり、一緒にやっている仕事の仲間、仕事に関係のない仲間だったり、自分にとって真の仲間だと言える連中が周りにいてくれたことが大きいです。 景気や調子がいいときには人が集まってきて、悪くなればさっと引いていなくなるのが当たり前の世界のなかでも、「大丈夫?」と声をかけてくれたり、私の気持ちを察して飲みに誘ってくれたりだとか。 そういう人たちもいるのだということが知れたというのがひとつ。苦しいときにこそ声をかけてくれる仲間がいること、自分が一番しんどいときにこそ、その嬉しさを知ることがありました。

生駒:サラリーマンとしてお勤めになられている方には、理不尽なことでもしなければならない仕事のストレスだったり、人間関係を円滑にするための色んな忖度がそこに生じるかと思います。 逆に経営者にはそれがない分、従業員の人生含め全ての責任を背負っていかなければならない重圧と孤独感があり、その代わり、周りとの人間関係をより良く構築していく醍醐味のようなものがあるということですね。
では、奥社長ご自身が経営者として、仕事にどんな流儀をお持ちになっているのでしょうか。

:「誠実と信頼」だと思いますね。当然、誠実でないと信頼は生まれないですよね。当社はこれまでお金をいただけなかったことが一度もないんです。

生駒:ほー、そうですか!それはすごくめずらしいことと言ってもいいことではないでしょうか。

:私もそう思います。周りの話を聞くと、何やら事情があって結果的にお金がいただけなかったなんて話もよくありますが、うちではそれもありませんでした。 どんな小さな取引だとしても必ずご入金してくださっています。私たちはお金をいただく限り全力で仕事をしてきましたので、その気持ちをお客様が真摯に受け取ってくれ、今まで一度も未払いという事態を生まなかったのだと私は思っています。 もちろん、お客様も誠実な方ばかりに恵まれてきたということもありますが、お客様との信頼関係があってこそ始まる関係ですから、「誠実と信頼」というところを常に意識して仕事をしていかなければいけないなと。これが流儀と言えるかはわかりませんが、仕事をする上での柱として心にいつも掲げているものです。

生駒:いえいえ、とんでもない。それは十分立派な流儀だと思いますよ。過去の苦労された経験があったからこそ奥社長はそれだけ支払いに対して責任を持っておられる、だからそういった未払いがない取引ができているのだと思います。 世の中には輪廻があって、やったことは周り回って必ず自分に返ってくる。返報性の法則とも言いますが、物事には順序があり、先にやらないと返ってこないものです。奥社長は独立後、そこをひとつひとつ苦労されながらクリアしてこられたからこその結果なのではないでしょうか。 それでは最後に、今の時代は起業、独立したい方が非常に多い世の中です。先ほどおっしゃった通り、1円で株式会社ができる世界ですから、ある意味起業のハードルは下がっています。 しかし、そんななか独立されて色んな苦労や失敗経験をされてきたからこそ、そういった方々に向けて一言メッセージを添えるとしたらどんなことをおっしゃりたいですか。

:とにかく、会社の運営に当たり、心の支えになってくれる友人・仲間が何人いるかよく考えてから独立してほしいと思います。ただし、友人・仲間にはお金の相談は絶対にしない方がいいです。 お金は別、お金のことだけは自分でなんとかしなさいと。経営者は順風満帆なんてことはまずないので、こんな時はどうしたらいいだろうとか悩んだ時に相談に乗ってくれたり、アドバイスくれたり、怒ってくれたりする仲間が何人いるか。 自分が本当に困ったときにこの人は傍にいてくれるかなとよく考えたうえで独立してください。そんな友人や仲間がたくさんいるのであればどんな苦しいことも乗り越えられると思います。

生駒:逆に、自分の周りを見渡したときにそこが心許ないようであれば考え直してくださいということですね。

:先ほどもお話した通り、経営苦で思いつめて首を吊ってしまう経営者は後を絶たないほど現実は厳しい世界なわけですから、勢いだけで早まって独立してしまうことはおすすめしません。 失敗して倒産するだけでも銀行は貸したお金が返ってこないわけですから。色々な人が迷惑を被るし不幸になってしまいます。そうならないようにするためにも、どんな逆境も乗り越えるだけのパワーをくれる、信頼できる仲間がどれくらいいるのか、よくよく考えてみてください。 全然良いアドバイスじゃないかもしれませんが。(笑)

生駒:いやいや、これはすごく価値のあるアドバイスですよ!なぜかというと、独立を考えている人が往々にして優先して考えがちなのは、売る商品・サービスはどうか、売り先がどれだけあるか、そこばかりなんです・・・実のところ。 私が創業者向けのスクールに招かれて講演しても、皆さんの聞きたいこと、気になることはそこなんですよね。奥社長はそことは全く別次元のところに経営の重きを置いていらっしゃって、精神の安定だったり、エネルギーの源だったりを、10年紆余曲折のなか経営を続けてこられて、今これを一番に考えられているのは大変重い言葉だということです。 このメッセージは、ぜひこの記事を読まれている一人でも多く方の心に届いてほしいですね。今日は短い時間でしたが、色々なお話を伺うことができました。奥社長とは以前から面識がある中でも知らないことがたくさんありました。 今、目の前にいらっしゃる嬉しそうな奥社長の顔と、その奥に潜む苦労されてきた顔、この両面があるからこそ、こんなにいい顔をされているんだなと、私は感じます。これからも末永くお付き合いいただけたら嬉しいです、ありがとうございます。

:こちらこそ、ありがとうございます。

編集後記

僕は、このごろ顔相に興味が出てきました。人の若いうちの顔には興味がないのですが、歳を重ねるとその人の歩んだ人生が知らずと顔にでて「味」が出てくるものです。その「味」のあるお顔こそ、今回インタビューさせていただいた奥社長そのものだと思うのです。
何故、そこまで「味」があるお顔をなさっているのか・・・?その理由が今回のインタビューに垣間見られました。
NECという大会社から出られ、ベンチャー会社に勤められた後に志を持たれ独立。しかし、大震災という予期せぬ出来事に翻弄され思う様に行かない中、ワンチャンスを掴めたか?と思うもそこに待ち受けていたのが、人の思惑であり挫折。そこからの浮上劇から現在に至る紆余曲折が、その「味」を生んだのでしょう。
自身を見失わず、人の情けに助けられるも依存をしないその生きざまに共感を覚えざる得ないところです。そういった意味でも、今回は意義深いインタビューになったと思います。
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