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代表 本多 竜太 様 インタビュー

本多代表の写真1
生駒:おはようございます。 本日は私の家の近く、横浜のどちらかと言えば南、海沿いの方ですね、 金沢区にございます株式会社ヨコハマ機工様にお邪魔しております。 早速、本日インタビューさせていただきます、本多竜太さんです。 本日はよろしくお願いいたします!

本多:こちらこそ、よろしくお願いいたします!

生駒:本多さんは、4つの肩書をお持ちになられているということで、私も今日はどんなお話が聴けるのかと、3日くらい前からワクワクしています。 第一印象はと言いますと、見た目も精悍なお顔立ちで素晴らしいオーラを放たれている感じを受けました。 それでは、まずは簡単に本多さんの自己紹介をお願いできますでしょうか。

本多:ありがとうございます。 本多竜太と申します。 1972年12月16日生まれの現在48歳です。 生まれも育ちも横浜で、実は父は元プロ野球選手でした。

生駒:え、そうなんですか!?

本多:4、5年間、「大洋ホエールズ」でプレイしていまして、小さいころから野球のスパルタ教育を受けていましたよ。

生駒:では、本多さんご自身も今は「横浜DeNAベイスターズ」のファンですか?

本多:いや、今はあまり野球は観ていないですね。 父からスパルタ教育を受けすぎて正直野球が嫌いになってしまったというのもありますが、とは言え野球はやっていましたから、一応、高校も日体大付属の高校に行ったんですよ。 でも、あまりにも周りが上手すぎて、体験入学の日に「これは3年かかっても勝てないな」と、野球は早々に諦めて違うスポーツをやりましたね(笑)

生駒:そうなんですね(笑) 本多さんは今、肩書が4つお持ちとのことですが、例えばどういった肩書があるのでしょうか。 また、どういった経緯で今のお仕事に就かれたのでしょうか。

本多:まず、24歳の時、「ガテン」という当時の求人誌のアルバイト募集で、「関東プリンテック株式会社」という印刷会社に入社したのがきっかけです。 そこに25年間在籍し、去年まで働いていましたので、ここで身に付けた仕事の技術や考え方が僕のコアな部分と言えます。 アルバイトで入ってから、工場長、役員、常務取締役とキャリアアップし、いろんな経験を積ませてもらいました。 また、他の活動として、NPO法人Aozora Factoryの代表も務めています。 こちらの活動は5年ほどやっていまして、活動の規模は年々大きくなっています。 規模が大きくなるにつれ、二足の草鞋を履いていることが原因で、もともと本業であった印刷会社の方に迷惑をかけてしまってはいけないということで、社長とも色々話を重ねたうえで取締役を辞職し、去年の11月に個人事業という形で独立し、現在に至ります。 他には、私は色々な会社や人との付き合い、繋がりが多く、多数のマッチングに携わっていることもあり、「ツナギスト」という肩書も持っています。

生駒:「ツナギスト」ですか! とても素敵な肩書ですね!

本多:私は、複数の仕事、活動をしていたこともあり、当時から「本多さんて何屋さんでしたっけ?」と聞かれることが多く、 「一応、印刷です(笑)」などと答えていました。 印刷業は、お客様が多い業種なので「こういう人知らない?」とか「こういう仕事があるんだけど誰かやってくれないかな?」といった話が、私のところに舞い込んでくることが多かったんですよ。 そういったこともあり、私は人と人、人と技術を繋ぐということが人より少し長けているのかなと。 もちろん、経験値や性質によるところもあるのだと思います。 例えば、私は飛び込み営業も全然苦ではなくて、この界隈には600社くらい会社があるんですけど、たぶんこれまでに300~400社くらいは飛び込んでますね。 別に何か見返りを期待をするわけでもなく、「地域の活動をやっていますので、顔と名前だけでも覚えてください」って名刺を渡していたら、それだけで問い合わせもいくつかいただきましたので。

生駒:飛び込み営業が苦にならないって、すごいですね! そういった社交性はもともと持って生まれた才能なんでしょうか。

本多:いえ、なんかそういうのが好きなだけです。 でも、20代の頃なんか社交性なんて全然なかったんですけどね。 すごく生意気だったし、今、当時の自分に会ったら、ぶん殴っていると思いますよ(笑) 僕は音楽が好きで、結構古い音楽が好きなんですけど、ビートルズとかローリング・ストーンズとかに影響を受けて、尖った20代だったように思います。 今考えれば、なんでそういうのに影響を受けて反発していたのか分からないんですけど、まあ20代ってそういうもんですよね。 ところが、30代になると少し思考が変わってきて、エネルギーが外に向き始めましたね。 それまでは内向的で内に向かっていた意識、例えば、うまくいかないことに「なんなんだよ」って自分自身に腹を立てていたのが、「そんなのは自分の考え方次第でどうとでもなるんだ」って外に向かってエネルギーを放出し始めてから変わっていったのだと思います。

生駒:なるほど、そのような考え方の変化から人生も大きく変わっていったと。 地域活動に携わるようになったのも、エネルギーが外側に向いたからなのでしょうか。

本多:そうですね、40歳を過ぎたあたりから、地域に目が行くようになりました。 「金沢区には面白い人がいっぱいいるんだな」、「なんか面白いことできないかな」と考えていたところ、そのタイミングで横浜市立大学の准教授の方とお会いしまして、「PIAフェスタ」っていう金沢区の地域のお祭りの集客をしてほしいと依頼を受けました。 このお祭りは地域で働いている方々の福利厚生の一環のお祭りで、昔は2万人くらい集まる大きなイベントだったのですが、近年は全然人が集まらなくなってしまったとのことで、じゃあ学生と一緒にアイデアを考えましょうということになりました。 そこで、学生から出たアイデアが、「ギネスを取りたい」と「ユーチューバーを呼びたい」といったものだったんですね。

生駒:ユーチューバーですか、それは今時っぽい発想ですね。

本多:それじゃやってみようかということで、有名なユーチューバーの「はじめしゃちょー」をゲストで招いて「だるまさんがころんだ」を大人数でやることにしました。 「だるまさんがころんだ」のギネス記録は400人強、それを倍近い750人を呼んで、地域振興センターのグラウンドで、「はじめしゃちょー」に鬼をやってもらい、ギネスを達成することができました。 それが6年前のことで、その次の年も、またなんかやってほしいと言われまして、またギネスじゃつまらないしなと思い、今度は子ども向けの体験型ワークショップをやろうということになりました。 この辺の地域は製造業、モノづくりの企業が多く、あまり知られていませんが、実は有名な方が多くいらっしゃるんですよ。 例えば、「山田中華鍋」っていう中華街のプロの料理人の方が使ってる、手で打ち出す中華鍋があるんですけど、職人の山田社長は生きる伝説です。 他にも、ニッパツさんの本社、南京錠のアルファさんも本社があったりするのですが、話すとみんなそのことを知らなくて。 なんで知らないんだろうと考えると、「この地域はこんな場所です」ってざっくりとしか言えなくて、「金沢工業地帯」とか「金沢工業団地」とかなんともパッとしない「ただの働く場所」としか認識されていない。 特区だし、飲食店も作ってはいけないし、夜は暗いし、シーサイドラインは狭いし、でもここで何万人もの人が働いているのに、あまり知られていない。 他の地域に比べて、こんないびつで興味深いところは他にないのにもったいない。 だったらなおさらみなさんに知ってもらいたいなってことで企画したんです。 単に「こんな会社がありますよ」ってだけではつまらないので、体験型のワークショップとして「鍛冶屋体験」を子どもたちに向けて開きました。 鉄を、火で熱してたたいて形成する、金属加工。 他にも釘を打つとか実際に体験してもらう。 今の子どもは釘なんか使ったことないだろうし、火も使ったことがない、オール電化だから、もしかしたら見たこともない子もいるかもしれません。 はじめは気付かなかったんですよね、僕らからすれば、火なんて当たり前だから。 そういった、物事の原理原則を子どもたちに体験させてあげて、「この地域はそういうことが体験できる場だよ」って伝えたいなと考えたんです。

生駒:それが「Aozora Factory」の原点なのですね。

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本多:はい、この地域の価値ある技術や知識を伝達しつつ、世代交代を含めた多世代の交流を図っていきたいと考えています。 地域のご意見番的な方も多く、そういった方には尊敬の意味も込めて大々的に引導を渡したいと(笑) そんなこと言ったら怒るのかなと思ったら意外と喜んでくれて、活動に賛同してくださる方も年々増えています。 今年はこのコロナ禍ですから、多くの人は呼べなくてもイベントをやるという実績を作りたいと考え、準備を進めています。 コロナを発生させずに子どもたちが楽しめるイベントとして、入場制限をかけたり、事前申し込み制にしたりなど、万全に準備を整えています。

生駒:素晴らしい活動です。 それでは、「Aozora Factory」が最終的に目指しているものとはなんでしょうか。

本多:この地域、横浜市金沢区の魅力発信と活性化ですね。 「地域の活性化」と言うと抽象的ですけど、やはり一番大きいのは「雇用を生み出すこと」だと思うんです。 お陰様で、この活動を通して「この地域で働きたい」という方は、少しずつ増えている実感はあるんですね。 関東学院大学だったり横浜市立大学の学生が、この地域を第一志望で選ぶかと言うと、なかなかないですよね。 それでも何人かは「Aozora Factory」というプラットフォームの中で就職されているんですよ。 こういった成果が少しずつ上がっているのは、単純に嬉しいなと思います。

生駒:活動の産物として、それは大きいですね。 活動に加わった学生さんの人生の進路がぐっと動く話ですから。

本多:そうなんです、他にもこの活動をきっかけに、大学一年から付き合いがある仲間がいます。 その彼は卒業後は楽天に入社したエリートなんですけど、社会人になった今、また一緒に、同じ土俵に立って地域活動できているのがすごく嬉しいです。

生駒:さすが、ツナギスト!(笑) 繋ぐことが大きな価値になっていますね。

本多:ただ、繋ぐだけだとやはり、事業性、キャッシュポイントってないと思うんです。 どうやったら繋ぐってことが価値として見出せるのか結構悩んだ時期もありました。 いろんな人からも「お金をもらった方がいいよ」と言われたり。 でも、そこで「繋いだことに対していくら」ってやりたくないんです。 本多竜太という一人の人間が、誰かと出会って話をして、そこから価値は生まれてくるものなので、繋ぐこと自体に料金はいらないんです。 もちろん、先行投資という考え方もいいんですけど、成果を出してこその対価。 繋ぐことに対しての報酬ではなくて、そこから生まれる案件から相応の対価をいただく。 そういう考え方の方がやっていて面白いですよね。

生駒:なるほど、繋ぐことはあくまでも通過点であると。 本多さんはこの地域にとってなくてはならない、ハブ空港みたいな存在になられているのですね。

本多:たぶんそこは、この地域では突き抜けていると思います。 今では、大きな組合に相談に行くよりも僕のところに来る人がいらっしゃいますから(笑) だから組合の方も、「こういう案件があるんだけど、本多君ちょっと聞いてもらってもいいかな?」って話を振ってくれますね。

生駒:地域の皆さんの相談役ですね。 そんな、地域の方々から頼られていらっしゃる本多さんですが、今までの人生で浮き沈みもあったことかと存じます。 人生の谷とも言える苦しい時期はあったのでしょうか。

本多:そうですね、今までの人生での一番の谷は、印刷会社時代の時ですね。 その時はバイトから工場員になって、僕が花形の仕事を任せてもらえると思っていたころです。 ところが、そのころ新卒で入ってきた一つ年上の社員がそのポジションに付いて。 僕は高卒ですが、経験も実績もありますから、当然やらせてもらえると思ってたんですよ。 その時は、「僕の方が全然やってるのに、なんでだろう」って。 しかも大卒だから僕より給料もいいんですよ、それに納得できなくて。

生駒:学歴社会、年功序列のジレンマみたいなことですね。

本多:大卒ってだけでそんなに人間の能力って違うのかなって、悔しくて悔しくて。

生駒:そういった悔しい時期も乗り越えてこられたのですね。 では逆に良かったことはなんでしょうか。 特に独立されてから、独立して良かったと思うことはありますか?

本多:そうですね、まず独立について、僕は46歳で独立したので、一般的にみると人より遅い方ですが、なんでもっと早く独立しなかったんだろうと思いますね。 独立したことで、ビジネスというものがすごいスッキリしたというか、クリアになりました。 印刷会社時代、社長によく「お金の勘定」について言われていたのですが、正直よく考えてなかったんですよね。 会社員時代の僕含め、一般のサラリーマンってそこが足りないと思うんです。 ビジネスとは、物を仕入れて売るだけじゃなくて、その間にあるものが重要だということ。 いくらで売ってこれだけ粗利が出て、そこにいろんな固定費が乗っかってくるとこれだけ残るとか、普通にサラリーマンやっていると、それが全然分からないじゃないですか。 それがやっと分かったっていうのが独立して良かったことですね。 ビジネスって意外とシンプルな構造だったんだって理解できました。

生駒:私もそういった相談を受けるのですが、サラリーマンは、入る計算はよくするんですけど、出る計算はしていないんですよね。 会社員では支出の部分は見えづらいんですよね。 上司には「稼いで来い」とは言われるんだけど、何にどれだけのコストがかかっているのか分からない。 本多さんは独立したことで、そこに気付くことができ、また、その構造が理解できたことでよりシンプルにビジネスを捉えられるようになったということですね。

本多:はい、そうなんですよね。 今でこそ言えますが、まだまだ日本は売り上げ至上主義で、古い体制から抜け出せてないのだと感じます。 利益至上主義じゃないとこれからの時代、会社はどんどん太っていくだけで、やがてつぶれてしまうと思うんです。 それなりに大きな会社でも、よくよく見ると「これ赤字じゃん」っていう商品って、結構あるんですよね。 それをやめればいいのに、売上を追いかけちゃうとやめられない。

生駒:これが経営陣や社長、そういった組織のトップの方々でさえ、「まあ、売上は上がっているんだし」と、利益が出ていないことに目をつぶってしまっていたりすることが多いですよね。

本多:そうですね、代表が目をつぶっていることに対しては、他の人間は何も言えませんよ。 もちろん、僕のビジネスが、安定しているとはまだまだ言えないですけど、 こういったビジネスの仕組みが、独立したことで見えてきて、とても面白いなと感じます。

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生駒:今、4つの仕事をされている中で、転換期、いわゆるターニングポイントはどこだったと考えますか?

本多:ターニングポイントは「関東プリンテック株式会社」の退社ですね。 辞める決断をするまでものすごく悩んで、社長とも色々話をして。 「もうこんな会社辞めてやる!」って勢いで辞めたわけでもないですし、現在も監査役として席を置いています。 独立って怖いじゃないですか、結局、決断まで1年くらいかかったのかな。 それで退社した後はこのコロナですから、ものすごいタイミングで独立したなって思います。 それでも、きちんと話し合ってお互いに気持ち良く別れられたことで、会社とは今でも良い関係性でいられるのは、この不安定な情勢の時にとても心強いですね。

生駒:私もよく独立を考えている方からご相談を受けたときには、「今いらっしゃる会社とうまく別れるように、またその後も付き合えるようにしましょう」とお伝えしています。 私も16年サラリーマンをやって独立したのですが、私はそこをすごく考えたんですね。 ほとんどの方は、当然、独立後のことばかりを考えるわけで、ただ、それは前の会社側からするとあまり面白くないわけです。 「なんだ、早く辞めたいのか」、「辞めて、さっさと次に行きたいのか」と。 私はそこを考えて、その会社の退社後、13年くらい盆暮れはいつもそこに菓子折を持ってご挨拶に行きましたね。 「僕は皆さんのお陰で何とかやれていますよ」という感謝の気持ちからです。 退く組織と良い関係を継続して保とうと思ったら、仁義を通すとか襟を正すとか、必ず必要な筋の通し方なのですが、目先の利益だけで損得勘定したときに、「そんなことにリソースを割く余裕はない」と考えてしまって、結局それで失敗される方をたくさん見ています。 もしも、前の会社との関係性が良好に保てていれば、仕事を紹介してくれたり、困ったときに助言してくれたりしたのかもしれませんから。 その点、本多さんはそこはもうお分かりになっていて、1年間悩まれたのがある意味財産になっているのかななんて思います。

本多:確かにそうかもしれませんね。 また、1年間悩んだ間は、個人で利益を出すにはこういうふうにしたらどうかとか、事務所を構えたら無理だなとか、固定費をこのくらいで収めるにはなどと、ひたすらシミュレートしたのも大きいですね。

生駒:今は、個人、いわゆる一人親方でいらっしゃいますが、これからやっていく中でこれだけは外せない仕事の流儀、信念はありますか?

本多:顧客満足度100%とか120%ってよく聞くじゃないですか。 僕はそれを200%で返したいと考えています。 今までもずっと「こいつに頼んでよかった!」と思ってもらえるよう仕事をしてきました。 引き受けた仕事に対して、付加価値を乗っけて、それは押し付けではなくて純粋に満足していただけるものでお返しする。 それが僕の仕事の流儀ですかね。

生駒:なるほど、そこを意識されて今までもずっとやられてきたからこそ、「この地域でなんかあったら本多さんに頼もう」、 「彼だったら何とかしてくれる」、「本多さんならなんか情報持っているだろう」と、今このようになっているのですね。

本多:顧客満足度200%を達成しようと考え、実践することで、自身の向上にもなりますし、何より学ぶってことを忘れずにいられます。 まずは、無知の知、自分が知らないということを知って、たくさん本を読んだりネットで調べて、お客様にはより多くの価値を提供できればと考えています。 実は、今日も生駒さんとのこのお話の中で知らないことがあったので、後で調べてみようって思っていたところです。

生駒:人生は常に勉強ですね。 本多さんの場合、勉強とはちょっとニュアンスが違うかもしれませんが、好奇心旺盛でそれに突き動かされているという感覚でしょうか。 ところで、先ほどのお話で、内面から外面にエネルギーが向くようになったと伺いましたが、そのきっかけはあるのでしょうか。

本多:悔しさですね。 悔しさって人間のモチベーションになる大きなポイントで、良い方向に持っていくことですごいパワーが出るんですよ。 何かうまくいかない、負けたとき、悔しいからってそこで諦めてしまう、いじけるのではなく、立ち上がって次に行く。 悔しさの感情を外側に向けてあげる。 僕は男の悔し泣きはカッコいいと思います、それはパワーの源ですから。

生駒:いい話ですね。 諦めるとかいじけるとか、妬み僻みもそうですが、人間が誰しも持っているダークな部分ですよね。 それをご自身なりに解釈して、自分自身でポジティブな方向にベクトルを向けられるのは素晴らしいです。

本多:学ぶことが大事だというのもそうで、悔しかったとき、負けたときに、自分には何が足りなかったのか分析できるようになっておかないと、次もまた悔しい思いをしてしまいます。 どうせ勝負するなら、勝ちたいじゃないですか。 最終的に勝つために自分が至らなかったところを認めて、分析してバネにする。 言ってることは根性論ですけどね(笑)

生駒:いやいや、いたって素直な感情で人生と向き合っていらっしゃるんですね。 私も多くの研修を通して、どういう人が一番伸びるのか、成長できるのか分析してきましたが、やはり一番は素直さです。 私はそれを「素直力」と言っていますが、これは大きな力なんですよね。 本気の研修をしていると、受講者さんの「素直力」を本当に感じることが多くて、その度に自分も素直でなければならないと、自身に言い聞かせています。

本多:確かに。 反面教師、果たして自分もそうなのか、相手に言ったことはできているのかと、僕もよく自分に問うたりしますね。

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生駒:それでは最後の質問です。 これから起業される方、起業しようと考えている方に向けて、先輩として何かアドバイスはありますでしょうか。

本多:そうですね、コロナの時代なので、こういうのは何ですが、色んな人と会った方がいいですね。 あとは、恥ずかしがることが一番の損だということ。 僕は20代のころからずっと言っているんですけど、「恥ずかしがったら絶対損するよ」と。

生駒:恥ずかしさとか照れって、自分自身が作り上げた一種の殻ですから、それを破って突き抜けろということですね。

本多:はい、自分も昔はそうで、恥ずかしがると何もいいことないということを学びました。 恥ずかしがっていたら何もできないし、何事もはじまりませんから。 裸になって自分をさらけ出すことも、生駒さんがおっしゃっていた「素直力」のひとつだと僕は思います。 まずは「自分はこういう人間なんだ」、そして後は、それ以上になりたいのか、なりたくないのか。 それ以上になりたければ、あとは努力するだけ。 そういうことなんだと思います。

生駒:今日、本多さんにお会いする前、一応どういう方なのかなと下調べはしてきました。 その中でよりパーソナルな部分を洞察しながら、お話しさせていただいたんですが、いたって素直でいらっしゃると感じました。 改めて「素直力」に勝るものはないのだと確信を持てました。 エネルギーを外側に向けることで地域のハブになり、多くの方からの信頼を得て、各方面から悩み相談を受けながらも、ビジネスとしては緻密な計算もされている方だと感じました。 私も「Aozora Factory」に大変興味がございますので、次回のイベントは、うちの娘たちとぜひ参加させていただきたいと思っております。 このモヒカンを見たら私のことを思い出していただければと(笑) 今日は非常に有意義なお話を聴かせていただきました。 今この記事をご覧になっている方も、ぜひ「Aozora Factory」で検索いただいて、活動内容を見ていただきたいなと思います。 それでは、本日はどうもありがとうございました!

本多:こちらこそありがとうございました!

編集後記

本多社長と初対面をした時、(失礼ながら)その端正な顔つきから大草原を走り回る動物を連想してしまった。しかし、その動物は獲物は狙うことはしていない・・・何とも不思議な感じがする。 もう一つ、どこか枠に収まっていない感じなのに・・・穏やかさを感じる。 これまた、何とも不思議な感じでありメチャクチャ魅力のある方なのだ。 それは、本多社長の今までの生き方から醸し出された独特な香りなのです。

そして、話をきいているうちに私までもがいつの間にか引き込まれていた。 それもそのはず・・・「ツナギスト」たる所以がそんなところに存在するのでしょう~

一言で申すなら・・・これから、ずーっとお付き合いしていきたいと思わせる「男」 これが本多社長です。

最後に、そんな本多社長をご紹介下さいました小宮社長に感謝申し上げたいです。 この度は、本当に素晴らしい魅力の塊の本多社長をご紹介下さいましてありがとうございます。

どんな社長・経営者にも「ターゲティングポイント」があり、社長業を全うする上で「仕事の流儀」があるはず・・・それをお聴かせいただき、情報発信させていただき、この記事をお読みいただいた読者であるあなたと情報共有がしたい思いでの企画になります。